「冬ソナ」「愛の不時着」…韓流ブーム到来 背景に金大中氏来日時のぎりぎりの外交交渉
国際舞台駆けた外交官 山本忠通氏(10)
小泉純一郎首相(当時)を表敬訪問した韓流ドラマ「冬のソナタ」主演女優のチェ・ジウ=2004年7月
公に目にする記者会見の裏で、ときには一歩も譲れぬ駆け引きも繰り広げられる外交の世界。その舞台裏が語られる機会は少ない。外務省のみならず国連でも事務総長特別代表を務めるなど国際舞台で活躍してきた山本忠通氏に、半世紀近くにわたった外交官生活を振り返ってもらった。
〝かけがえのない友人〟が橋渡し
《1998~2000年、駐韓日本公使(政治担当)として赴任した》
大使は小倉和夫さんと寺田輝介さん。お二人とも外務省でトップクラスの優秀さでした。
赴任当時、韓国は金大中(キム・デジュン)政権でした。金大統領にとって、かけがえのない友人だったのが、河野洋平元外相です。1973年8月、金氏が日本に滞在していたとき、拉致されるという事件が起きました。当時、若手議員だった河野さんは勉強会に講師として出席される金氏を宿泊先のホテルに迎えに行き、拉致事件に遭遇しました。これをきっかけに2人は深い付き合いを始め、家族ぐるみのとても仲の良い関係でした。私が韓国に赴任したとき、河野さんから金氏を紹介していただきました。
金大中氏が拉致されたホテルを調べる警察官=1973年8月
2000年にノーベル平和賞も受賞した金氏は、世界的な視野を持つ政治家でした。まず「アジア全体の安定」を考え、その中で日韓関係を良好にし、2国が協力してアジアの繁栄を導いていくと考え、そのために米国との関係も大事である、と考えていました。
朝鮮半島安定のため、北朝鮮との関係では、より経済的に豊かで社会的に余裕のある韓国が懐を大きくし、受け入れていく必要があると考えていました。明確な世界観とビジョンを持つステーツマン(政治家)でした。
「謝罪」受け入れ巡り応酬
《金氏の98年10月の日本訪問は、日韓関係にとって重要な節目となった》
来日を調整する韓国外務省のカウンターパートは、パク・チュム東アジア1課長。後に朴槿恵(パク・クネ)大統領の首席補佐官になった人物です。非常に優秀な外交官でした。
金氏の訪日前、パク・チュム氏と、これまでの日韓関係の問題は何かという話をしました。彼は、日本が何回も謝罪を繰り返した後、日本国内で謝罪を裏切るような発言や行動があり、なかなか関係が良くならない、と強調した。
それに対し私は、「それだけではない。謝罪しても、韓国側は受け入れてくれない」と訴えました。「謝罪は、する方と受け入れる方の両方がなければ成立しない。謝罪を受け入れなければ、一方的な意思の表明になる。歴史問題に終止符を打つには、韓国として公式に謝罪を受け入れてもらうことが大事だ」と。この方針は、本省の佐々江賢一郎北東アジア課長と話し合った結果でした。
日本の参議院で演説する韓国の金大中大統領=1998年10月
パク・チュム氏は「分かった。努力しよう」と返答。その後、両国が発表した日韓共同宣言には、小渕恵三首相が「痛切な反省と心からのお詫びを述べ」、金氏が「小渕首相の歴史認識の表明を真摯に受け止め、これを評価する」と書かれています。こちらが求めた「謝罪を受け入れる」と、素直には書かれなかった。なので百点満点とはいきませんでしたが、それでも大きな進展で、歴史問題に一つのけじめを付けることはできたと思います。日本の国会で金氏が演説した際、議員たちはスタンディングオベーションで応じました。
日本の大衆文化解禁
《金氏の訪日は成功に終わり、韓国では日本大衆文化の開放が起きた》
韓流ドラマ「冬のソナタ」主演のペ・ヨンジュンが来日した際は、大勢のファンが出迎えた=2009年9月
それまでも、ソウルの大学街の喫茶店では日本の歌謡曲が流れていました。しかし、禁止されていたものを流していたので、客が「日本の音楽ではないか」と指摘すると、「間違いました」などと言って、CDやレコードを外す状況でした。
日本のテレビドラマ、たとえば、96年に放送された木村拓哉と山口智子のドラマ「ロングバケーション」は韓国でも大人気でした。ただ、闇でのみ流行していました。
しかし、禁じられていた日本の大衆文化が解禁された。日韓の間で蜜月関係ができ、その結果、韓国からも「冬のソナタ」や「宮廷女官チャングムの誓い」、そして最近は「愛の不時着」などの韓流ドラマが次々に日本に入ってくるようになったわけです。(聞き手 黒沢潤)
〈やまもと・ただみち〉1950年生まれ。東京工業大卒。74年に外務省入省。北米第1課長、在韓国、在米国政務公使などを経て2006年、広報文化交流部長。08年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)代表部大使。アフガニスタン・パキスタン支援担当大使、駐ハンガリー大使などを経て16年6月、国連事務総長特別代表兼国連アフガン支援団(UNAMA)代表に就任。20年3月に退任し、現在は立命館大客員教授などを務める。
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